年齢を重ねていくうちにだんだんと衰えてくる「目」ですが、

私もコンタクトレンズをしているので大変さは少しは分かるつもりです。

今やスマホやパソコン等の影響もあるでしょうか?小さな子供たちも「目」の病気になることもあるようです。

ですが私たちの住む「日本」以上に医療の事で困っている国はたくさんあります。そんな困っている国ですごい活躍をされている眼科医の先生がいます。

 

今回は5月19日放送の「カンブリア宮殿」に出演されます。

「服部匡志」先生について調べてみました。

スポンサードリンク

「服部匡志」先生のwiki的プロフィール

キャプチャ

出典:http://hanovonet.blog.fc2.com/blog-entry-181.html

名  前:服部匡志(はっとりただし)

生年月日:1964年生まれ

出  身:大阪府

学  歴:大阪府立四条畷高校(しじょうなわてこうこう)

学  歴:京都府立医科大学医学部卒(1993年)

医者になるきっかけは?

服部匡志さんですが、医者になろうと決めたきっかけがありました。

それは、父の担当医師からの心無い一言でした。

「82号室のクランケ(患者)は文句ばかり言って本当にうるさいやつだ。

どうせ、もうすぐ死ぬのに」

引用元:http://blog.livedoor.jp/chosei/archives/51572265.html

本来であれば命を長く長く持つことが出来るようにすることが使命のはずの「医者」からのこの一言ですからね。きっと辛かっただろうと思います。

そして、胃がんだった父親は亡くなりました。

父からの4つの言葉

父親が亡くなった後、黙って「家出」をしたそうです。その中でいろんな経験をし、いろんな人間に出会い、そして熱くこみ上げるものがあったのでしょう!「こんな医者がいちゃいけない!僕が変えてやるんだ!」と医者になることを決めたようです。

なるまでには相当苦労したようです。

高校時代は「赤点」ばかりだったようで、ですが担任から「死ぬ気で頑張れば2年で何とかなる。」と励ましをもらったことで頑張れたようです。

大学に入るまでになんと!4浪しています。

学力自体は2年ほどで阪大・京大ともにA判定が出るくらいだったようですが、本番で、、、ダメだったようです。

 

4年間ですよ?私はそんなに長く頑張れる自信がありません。きっと父親の死が、心無い医師の言葉が発奮材料になっていたとしか思えないです。

お父さんは遺言を残されていました。そこには4つの言葉がかいてあったそうです。

・お母ちゃんを大切にしろ

・人に負けるな

・努力しろ

・人の為に生きろ

この言葉たちが服部匡志先生を頑張らせてくれたようです。そして今でも思い出して自分に喝を入れるようです。

 

そして22歳の時に京都府立医科大学医学部に入学されます。

ちなみに始めは消化器科の医者を目指していたのですが、ある医療説明会の時に出会った眼科の教授に惹かれ、眼科医を目指すようになったようです。

ベトナムとの出会い

見事眼科医となった服部匡志さんですが、始めのうちは日本で頑張っておられました。

2002年の臨床眼科学会で出会った、ベトナム人女性医師に「腕」を見込まれ、誘いを受けたのが始まりだったようです。

「あの時、もし僕がタイ人医師に出会っていたらタイに、インド人医師ならインドに行っていたでしょうね。でも、僕はベトナムにやって来た」。

引用元:http://www.vietnam-sketch.com/

服部先生のお給料は?続きをどうぞ!